頑固なコンプレックスの塊だった私を卒業 / 臼井万里子(3/3)
子供の頃の私は
とても恥ずかしがり屋で、
人前で話すのが苦手な女の子
でした。
家族は両親、6才下の妹と私の4人家族、
今住んでいる横浜で生まれ育ちました。
父はサラリーマン、母は主婦という
暮らしでした。
妹が生まれてとても嬉しかったので
小学校低学年の頃の、学校の作文はいつも
「わたしの妹」という題目で
どれだけ妹が可愛いかを書いていました。
その反面、
妹が生まれてから、私は両親から「お姉ちゃん」と呼ばれ、
いつも「お姉ちゃんだから、お姉ちゃんなのに」と
言われることが増え、怒られるのは私で、
がまんしないといけないのは私で、
お姉ちゃん(長女)はつまらないな〜と思ってました。
「まりこ」という名前にも
なんとなくコンプレックスがありました。
近所の人に「まりちゃん、まりちゃん」
と呼ばれるのがなんとなく恥ずかしかった。
その当時「となりのまりちゃん」と呼ばれるアイドル歌手が
人気でとても笑顔が可愛い女性でした。
そんな人と比べられるのもいやでした。
私の中でかわいい人って、、、
目がぱっちり、顔が小さくて、笑顔が可愛い、
背も小さくて守ってあげたい感じの人というイメージがあり、
小さい時から少し背が高く、
顔も面長な私はかわいいイメージが違うと、、、
そんな自分にコンプレックスを持っていたのです。
その当時、私の身の回り品は母の手作りが多かったのです。
お出かけ用のワンピース、スカート、パンツ、小物雑貨など、
母と一緒に生地屋さんに行って、生地を買い、
手作りする洋服を着ていました。
今思えば、とても愛されて育ち
素晴らしい環境だったのです。
ところが、私は自分はかわいくないという
コンプレックスから
自分は女に子らしい格好は似合わない、
そんな格好したら恥ずかしいと思うように
なっていきました。
とても女の子っぽいシルエットを好む母とは
だんだん意見があわなくなり、
私はデパートなどで販売している既製品の洋服を
好むようになって、母の手づくり洋服を
いやがるようになっていったのです。
既製品の洋服も、ピンクや赤色などで、
フリルのついたかわいい洋服は私には似合わない!
と頑に拒否、
どんどんスポーティーなもの、
色も青色、黄色、緑色など
男の子が好きそうな色を好むようになりました。
図工や絵を描く事が好きだったので、
小学校高学年以降から将来は美大に行きたいな〜
と思いはじめ、中学は美術部に所属、
高校からは絵画教室へ通い、
そして希望する美術大学(短大)に無事入学。
生活デザイン教室というところで、
木工、金工、陶芸、デザインなど
いろんなことを広く学べました。
卒業後
かわいい小物や雑貨が大好きだったので
キャラクターデザインの雑貨・玩具を取り扱う
原宿に店舗をかまえる会社に就職しました。
そこからいろんなコト、モノ、ヒトに出会いがはじまりました。
その当時、その店では自分が担当しているエリアは
自分で商品仕入をするという仕組みでした。
20歳で新卒の私も担当を持たされ、
自分の権限で商品発注、仕入れ、検品、値付け、店頭陳列、
デイスプレイPOP等売り場づくりをしていく形です。
一人で商談会に行き、商品仕入も行いました。
夏休み、クリスマス、お正月商戦などは活気があり、
売り場のレイアウトは季節ごと、テーマごとに、
常に換え、お客様への提案は忘れないように
それぞれの担当が奮闘していた職場でした。
自分の責任で商品の製造から販売まで関わった
貴重な経験から私の社会人生活が始まったのは
とてもラッキーだったと今心から感謝しています。
ここでチームワークで仕事をする楽しさ、
ひとつのことをやりとげる達成感、
大変さを学びました。
何よりお客様の喜ぶ顔が直接見えるのが嬉しかった。
自分が企画した商品を買って嬉しそうな様子や、
かわいくラッピングしたプレゼント、
どんな言葉をかけて渡すのだろう〜
と考えるとちょっとワクワクして、
私自身も嬉しくなりました。
それなのに、前号でお伝えしたように
いつの間にか不健康で疲れ切っている私、
仕事の中身に疑問を持っている私になっていました。
好きな仕事をしているはずなのに、どうして!
と、必死にもがいた結果
つぶつぶに出会い、
つぶつぶで働くようになって
私の仕事経験が生かされるようになり、
健康も自身の歓びも取り戻すことが出来ました。
矛盾のない商品を心から確信を持って
お客様に届けられるこの仕事、
自分の暮らしと仕事がまったく矛盾しない
つぶつぶの活動の中で
ほんとうに幸せに働いていました。
そして、とても大切なことに
気づいていくことになります。
それは、私は、小さい頃に
「かわいいのは妹で自分はかわいくないんだ」
と思い込んでいました。
でもほんとうは人が大好きで、かわいいねと
言われたかったのです。
その気持ちをかわいい商品の仕事に投影して
いたことに気がつきました。
心から信頼して学びあう仲間から
私の魅力を誉めてもらう機会が増え
頑に自分の女性らしさや魅力を受け入れなかった
私の自己意識も、ふんわりと溶けていったのです。
つぶつぶの暮らしを実践し学び続ける中で、
つぶつぶ料理を美味しいねと
一緒に食べる家族というイメージが
やっと私の中に芽生えて来ました。
いままでも出会いはあったはずなのですが、
頑固さとコンプレックスのせいで
私がタイミングをあわすことができず
素の自分を見せる事ができず、
結婚を拒否して生きてきた私に気がつきました。
「つぶつぶ」を学んで
家族で成長していく仲間を見て、
私も、ようやく
となりにいてくれるパートナーが欲しいと
思うようになりました。
そして、つぶつぶで働きながら
どんどんふくらんで来た夢
生まれ育った地域で
つぶつぶ料理の美味しさを伝える
教室やカフェを開きたい
という夢がどんどん
天然色で見えてくるようになりました。
いよいよ、
つぶつぶマザーとして独立する時が来たことを
感じました。
でも、あまりに居心地の良い職場に
ついつい、一歩踏み出さない自分がいました。
今年になって、やっと
行動に移すことが出来ました。
全部を自分の責任で組み立て、
形にして、つぶつぶを伝えていく場を運営する。
ずっとずっと、やりたかったことを
心から楽しんでいる私がここにいます。
横浜を拠点に、今は独身の身軽さを生かして
どんどん動き回っています。
自分の家を「つぶつぶカフェ」のギャラリーショップのように
人の集まる響き合う空間にできたらよいなという夢が、
今、私は、その夢の中に暮らしています。
私が「つぶつぶ」で感じた美味しさ、
喜び、安心、心がキラキラ・ワクワク・ドキドキする感動を伝えたい!
と燃えて、活動に邁進している魅力的な私、
あたらしい私!がここにいます。
美味しいつぶつぶ手料理を食べてくれる
パートナーも募集中です。
つぶつぶマザー
臼井万里子
おわり(3/3)