【ごはんを食べよう vol.19】米が日本中に行き渡ったのは昭和50年代から
*この投稿は未来食創始者 大谷ゆみこ公式ブログ「輝いて生きる 〜食と生き方のレシピ〜」の連載記事「ごはんを食べよう」を編集して掲載しています。連載一覧はこちら
未来食創始者 大谷ゆみこ
日本人全員が日常的に
米を食べられるようになったのは
昭和50年代になってからです。
明治のはじめの統計では
25万ヘクタールのアワが
生産されていたという記録があります。
岩手県の山間部を訪れたときに、
土地の方が、
昭和40年代後半まで
雑穀ばかり食べていたと話してくれました。
北海道の二風谷で故萱野茂さんのお話を聞いたとき、
「ここで米が食べられるようになったのは
昭和30年代になってから、
普及したのはもっと後だった」こと、
「雑穀の栽培は草取りがたいへんだったけど、
おいしかった」ことなど話してくれました。
大谷ゆみこ
未来食創始者
株式会社フウ未来生活研究所 CEO
1982年から生命のルールに沿ったおいしい「料理のデザイン」と ワクワク弾む「心のデザイン」という分野を開拓し、先駆的な活動を続けている。雑穀が主役の健康をもたらすおいしい食システム「未来食」を提唱。つぶつぶクッキングとして3000レシピ以上を創作。1995年に誕生した「未来食セミナー」のプログラムと「つぶつぶ料理教室」を全国展開し、日本各地の何千という人々に家族ぐるみの健康と幸せのスキルを伝え続けている。
暮らしの拠点は広葉樹林と七色の雑穀畑に囲まれた「未来食ライフラボ/いのちのアトリエ@山形」
日本ベジタリアンアワード第1回ビーガン賞、第2回大賞、第3回料理家グループ賞。日本で2人目で女性初の日本ベジタリアン学会認定マイスター。日本ベジタリアン学会理事。
『オトナ女子は人生を”食”で奏でる』『未来食7つのキーフード』『野菜だけ?』『つぶつぶクッキングSTARTBOOK』など著書多数。
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\日本人として凛と生きる/
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