雑穀の里・岩手県岩泉町の暮らし① 白米ごはんを食べたのは盆と正月くらいだった!
岩手県岩泉町は、雑穀が当たり前の暮らしが日本で一番長く、昭和40年代後半まで続いていました。そんな岩泉町で生まれ育ったのがつぶつぶ料理コーチ/つぶつぶマザーの佐々木眞知子さん。古くから雑穀を栽培し食べてきた、岩手県岩泉町の暮らしについて聞きました。
古くから雑穀を栽培してきた岩手
佐々木眞知子さん
つぶつぶ料理コーチ
つぶつぶマザー
つぶつぶ料理コーチ/つぶつぶマザーの佐々木眞知子さんは、雑穀が当たり前の暮らしが日本で一番長く、昭和40年代後半まで続いていた岩手県岩泉町の生まれです。
子どもの頃の遊び場は雑穀畑でしたが、その後、雑穀が中心の食から米が中心の食への劇的変化を目の当たりに体験してきました。さらに、栄養士となり近代栄養学の世界にどっぷり浸かったものの、どこかで疑問を感じる日々でした。
未来食つぶつぶとの出会いは2003年。当時同じ職場にいた、つぶつぶ料理コーチ/つぶつぶマザーの伊藤信子さんと食のプロジェクトで一緒になったことがきっかけでした。それまでの疑問がスルスルと解け、地元の食材でシンプルに作れるつぶつぶ料理にすっかり共鳴し、暮らしや仕事に取り入れてきました。
定年後、夫婦で雑穀栽培に取り組み始める
夫の幸男さんも岩泉に生まれ育った同世代。主食は雑穀ひえと麦を中心に、少しの米という食事で育ちました。岩泉で水田が普及したのは戦後で、米は貴重品でした。盆と正月しか食べられなかったといいます。
2013年に定年退職をしたのを機に、眞知子さんと共に、荒れた昔の畑を開墾しながらの雑穀栽培にチャレンジしてきました。初年度は、アマランサスやもちきび、たかきびなどを収穫し、その後栽培面積も増やしています。
幸男さんは、眞知子さんの作るつぶつぶ料理を食べていただけで、何と7年間で30㎏のダイエットに成功。山を歩くときも体が軽くなったと喜んでいます。
雑穀の名前が並ぶ、昭和30年代の精米所の大福帳(だいふくちょう)
大福帳(だいふくちょう)とは、商売に欠かせない売掛帳のことで、売買の詳細を記したものです。
眞知子さんの嫁ぎ先、幸男さんの家はかつて精米所を営んでいました。家に昭和30年代の売買の記録ノートが何冊も残っていると聞き、実物を見せてもらいました。
ページをめくってみると、「昭和32年、三月14日、稗、一斗五升、三○(円)、赤坂 前田○○様」と、日付、穀物の種類、量、金額、持ち込んだ人の地域と名前がびっしりと書かれています。「小麦」「押麦」「丸麦」が多く、それに混じって、「稗(蒸しひえ)」「白干(蒸していないひえ)」「粟(あわ)」「そば」「小きみ(きび)」の文字が並んでいます。
精米というとほとんどの人が「米」を思い浮かべると思いますが、ノートに書かれているのは麦と雑穀ばかりです。
麦と比べて雑穀が意外と少ないのは、各家にバッタという足踏み式か水力式の搗き臼があり、雑穀は自宅で精白することが多かったから、と幸男さんが教えてくれました。
雑穀を主食として食べていた頃を彷彿とさせる資料を目にし、また、白米を食べることが地域に普及したのはその約20年後だったと聞き、それから40年ほどしか経っていないことを改めて実感しました。
連載で、雑穀文化の源流の暮らしについて、レポートしていきます。
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佐々木眞知子さんの未来食つぶつぶ歴
2002年…つぶつぶ創始者ゆみこ岩泉町イベント開催時のスタッフ参加
2006年…サバイバルセミナー(現・未来食セミナーScene1&3)受講
2011年…未来食セミナーScene2受講
2014年…つぶつぶマザー養成講座受講
2015年…岩手県盛岡市でつぶつぶ料理教室開始
2016年…つぶつぶマザーとして未来食セミナー講師デビュー
岩手県盛岡市で未来食セミナーScene1開催
2017年…雑穀研究会「穂待ちっ娘」定期開催スタート
2018年…岩手県岩泉町で未来食セミナーScene1開催
<佐々木眞知子さんのブログ>
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