雑穀の里・岩手県岩泉町の暮らし② 外は天然の冷凍庫!厳寒を利用した凍み大根と凍み豆腐づくり
岩手県岩泉町は、雑穀が当たり前の暮らしが日本で一番長く、昭和40年代後半まで続いていました。そんな岩泉町で生まれ育ったのがつぶつぶ料理コーチ/つぶつぶマザーの佐々木眞知子さん。
古くから雑穀を栽培し食べてきた岩手県岩泉町の暮らし、雑穀文化の源流について連載でレポートしています。
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佐々木眞知子さん
つぶつぶ料理コーチ
つぶつぶマザー
凍み大根に干し葉汁というのが、岩泉の冬の風物詩だった
眞知子さんが子どもの頃は、1月から2月の寒の時期は、毎日のように凍み大根や凍み豆腐を作っていたそうです。
凍み大根は、ゆでた大根を凍らせたものです。秋に収穫後、土に埋めて保存しておいた大根を雪の下から掘り出し、皮をむいて適当な長さに切ってからタテ半分に割ります。これを固めにゆでて、藤の木のツルを刺し通し、2~3日川の水にさらしてから外につるします。-10℃にもなる寒さの中、一晩で凍ってできあがり。
これを、晴天の日は外のハセバ(収穫した穀物や豆を干しておく、木で作ったはしご状の棚)、雪や雨の日と夜は軒下につるして寒風にさらし、カラカラに乾燥させると、夏まで保存できるのだそうです。
水に浸して戻し、食べやすい大きさに切って味噌汁や煮物に使います。柔らかいのに繊維も感じる食材で、生の大根とは違った不思議な食感です。
また、大根の葉は収穫後、乾燥させて干し葉にして保存します。それをゆでて細かく刻み、おまんじゅうのように丸く握って外で凍らせます。そのまま味噌汁にいれると、干し葉汁に。
自然の力を利用して葉緑素を保存しておき、大地が雪に覆われて葉物が採れない冬場に食べるという知恵ですね。
豆腐は特別な日のハレ食や贈答品だった
豆腐作りは、大豆を一晩水に浸けるところから始まります。それを石臼で挽き、やだ釜という、人が入れるくらい大きな釜で煮ます。そして、煮た大豆が熱いうちに、麻袋で濾して取れるのが豆乳です。そこにニガリを入れると、フワフワと豆腐が寄って水と分離していきます。これを豆腐箱と呼ばれる型に入れ、重しを載せて固めたら生豆腐のできあがり。
眞知子さんが子どもの頃、豆腐はハレ食でした。お盆や正月などの特別な日のご馳走で、煮しめや汁物に入れて食べたそうです。
「豆腐は冠婚葬祭の贈答品、特に仏事での供え物にもなって、豆腐箱に入れてだらだら水をしたたらせながら、作りたての豆腐を背負って届けるのが習慣だったんですよ。」と眞知子さん。
眞知子さんのおじいさんのお葬式(昭和41年)には、「豆腐ヒトアゲ(大豆4升)」を持ってきた家が11軒あったという記録が残っているそうです。
凍み豆腐にするには、「トーカー」という木のトレーにワラを敷き、切り分けた豆腐を並べ屋根に載せて凍らせます。作り方は家によって少しずつ違うそうですが、眞知子さんの生家では、長く保存するために、一度凍った豆腐をお湯に入れて解かして絞り、稲わらで編んで軒下に吊し、カラカラに乾燥させたそうです。
眞知子さんの作った凍み豆腐を食べさせてもらいました。干し葉と一緒に味噌汁に入れた昔ながらの手作りの凍み豆腐は、いわゆる高野豆腐とは違って、きめの粗い、固めのスポンジのような食感でした。歯ごたえがあり、噛むとジュワッと味がしみ出してきて、味わい深い美味しさです。
今でも岩手の山村の畑には、大豆と大根ばかりが植わっているのを見かけます。
凍み大根や凍み豆腐から、長く厳しい冬を逆手にとって、手間ひまかけて保存食を作り、生き抜いてきた人々のたくましさを感じました。
佐々木眞知子さんの未来食つぶつぶ歴
2002年…つぶつぶ創始者ゆみこ岩泉町イベント開催時のスタッフ参加
2006年…サバイバルセミナー(現・未来食セミナーScene1&3)受講
2011年…未来食セミナーScene2受講
2014年…つぶつぶマザー養成講座受講
2015年…岩手県盛岡市でつぶつぶ料理教室開始
2016年…つぶつぶマザーとして未来食セミナー講師デビュー
岩手県盛岡市で未来食セミナーScene1開催
2017年…雑穀研究会「穂待ちっ娘」定期開催スタート
2018年…岩手県岩泉町で未来食セミナーScene1開催
<佐々木眞知子さんのブログ>
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