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未来食つぶつぶ 公式ブログ

雑穀の里・岩手県岩泉町の暮らし⑫ 砂糖は滅多に食べることがない貴重品だった

岩手県岩泉町は、雑穀が当たり前の暮らしが日本で一番長く、昭和40年代後半まで続いていました。そんな岩泉町で生まれ育ったのがつぶつぶ料理コーチの佐々木眞知子さん。

古くから雑穀を栽培し食べてきた岩手県岩泉町の暮らし、雑穀文化の源流について連載でレポートしています。

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雑穀の里・岩手県岩泉町の暮らし »

秋じまいと三九日

眞知子さんの畑では、雑穀や豆、野菜の収穫も終わり、冬を迎える準備もあと少し。そんな秋じまいの思い出に「三 日(さんくにち)」があるそうです。旧暦9月の9のつく日に、収穫したものでごちそうを作って食べる習慣がありました。9日を「しょでくにち」、19日を「ながくにち」、そして29日を「しめえくにち」と呼びます。

あずきばっとうとあずきとカボチャのひっつみ

もちアワ入りのもちを搗き、丸めてあんこでくるんだ「とりぐるみ」、高キビの粉で団子を作って小豆のお汁粉で食べる「うきうき団子」、小麦粉で手打ちうどんを作り、小豆あんをからめた「あずきばっとう」などのほか、煮しめやキノコ料理が定番でした。こうした料理はまずお仏壇に上げ、それから家族で食べるのが習慣でした。

高キビ粉のうきうき団子

「三九日には収穫への感謝と忙しい時期に栄養をとって体力を回復する意味があったのだと思います。」と眞知子さん。

砂糖は貴重品だった

ちなみに、もちや団子につける小豆のあんこに砂糖はほとんど入っていなかったとのこと。眞知子さんが小さい頃、砂糖は高価なもので、滅多に食べられない貴重品だったそうです。そのため、もちやお汁粉を食べる時には、砂糖を小さな器に入れて添え、上に少し振りかけて食べることもよくあったそうです。甘い=裕福さの象徴でもあり、憧れでした。

砂糖が広まる前は、甘味は自家製の甘酒と身近に採れる木の実や果物でとっていたとのこと。特に残りごはんで作る甘酒は1年中切らさず常備していました。40年ほど前から砂糖が安く手に入るようになり、仏事の供物によく使われるようになっていきました。今では岩泉でも煮物や漬物など、何にでも砂糖を入れるのが一般的です。「こうして振り返ってみると、雑穀中心から白米中心の食に変化したのと同時期に砂糖が急激に食生活に入って来たことに気づきました。」と眞知子さん。

もっと知りたい方は体験イベントへ

さて、この連載も今回が最終回となりました。「自分にとっては当たり前のことを、改めて文章にしたものを読むと、客観的に「えっ!いいなぁ』と、自分の体験なのに、新鮮で不思議な感じがしました。近所のお年寄りに昔の話を聴くのも興味深かったです。」と眞知子さん。

実は、載せられなかったエピソードも沢山あります。 雑穀の里で生まれ育った眞知子さんの話は、まだまだ尽きることがありません。続きが聞いてみたい方は、是非、眞知子さんのつぶつぶ料理教室盛岡や岩泉の暮らしの拠点を訪ねてみてくださいね。


○ 話し手:つぶつぶ料理コーチ 佐々木眞知子さん

日本で一番長く雑穀食が続いていた岩手県岩泉町生まれ。雑穀が 普通にある暮らしとその劇的変化を体験して育つ。町の栄養士を長 年務めながらも、近代栄養学に疑問を感じていたときに、つぶつぶ と出あう。早期退職後、夫と共に雑穀栽培にも取り組んでいる。
【岩手・岩泉】雑穀栽培体験×つぶつぶ料理レッスン コスモス

○ 聞き手・文:つぶつぶマザー伊藤信子さん

東京生まれ。大学卒業後、岩手県北の集落で雑穀のある伝統的な農 業や食文化を丸ごと体験、自然と文化と人の懐の深さに魅了され、岩 手に移住。岩泉町にも約8年間暮らす。現在は、雫石町にある自宅兼 アトリエでつぶつぶのセミナーや料理教室を開催している。4児の母。
岩手・仙台 つぶつぶ料理教室 つばさ

 

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つぶつぶは

  1. 私たちが雑穀につけた愛称
  2. 雑穀が主役のビーガン食スタイル「未来食」のこと
  3. 生命のルールにかなう生き方の提案
  4. 私たちフウ未来生活研究所の多彩な活動の愛称
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