つぶつぶという静かな美しい革命を世界に / 伊藤(高橋)信子(3/3)
「頼んだわけじゃないのに何で私のことを産んだの?」
「私は生まれたかったわけじゃない」
高校生の時、そう母を責めて泣かせたことがあります。
「人生はなんて理不尽なんだろう」
「生まれるのも、死ぬのも自分では決められないのに
なぜ人生を引き受けて生きなければならないのか」
「生きていたくない、早く死んでしまいたい」
そう思って育ちました。
私は、20代半ばまで
ものすごい矛盾を抱えながら生きていたのです。
学校の成績は学年トップ、作文コンクールでは軒並み入賞
生徒会も部活動もこなし、学外でのボランティアにも参加
子どもの頃から、人前ではいつも、平和な世界をつくりたいと夢を語り
夢の実現のためと猛勉強して希望の大学にも進学、海外留学もし
卒業後はグローバル資本主義をひっくり返したい、とNPO活動に没頭し
その反面、
「自分は無力で取るに足らない人間で、死んでも大勢に影響はない」
と心の中では最悪の自己評価をしていました。
「どうやったら死ねるんだろう」と包丁を枕元に置いて寝たり
真夜中に赤信号の横断歩道を渡ってみたり
今ならそれが、家を出て一人暮らしで運動に没頭していた頃の
滅茶苦茶な食事のせいだったとわかります。
そのまま破滅に至らなかったのは
多分、ギリギリのところで夫に出会い、子宝に恵まれたから、
ありのままの私を愛し受け容れてくれる夫と子どもたちに救われたのです。
子どもの頃から私が抱えていたもう一つの葛藤は
「母に認められたい」それなのに、「認めてもらえない、褒めてもらえない」
というものでした。
自分の子を持つまで
親への感謝を素直に持つことができずにいました。
私には物心ついた頃から
厳しい母のイメージしか記憶にありません。
幼い頃、何かでひどく叱られ、私が泣くと
「泣けばいいと思っているのか。甘えるんじゃない!」
とさらに怒られ、それ以来、泣くに泣けなくなりました。
少女バレーをやっていた小学生の時
大会の前日に熱を出し、具合が悪くて寝ている私に
「そんな弱い子に育てた覚えはない」
母は不機嫌そうにそう言いました。
鬼のようだと思いました。
「がんばる経験をさせたかった。」そうです。
でも・・・と心の中で子どもながらに思っていました。
「頑張らざるを得なかったんだよ」
「だからいつも頑張っちゃうんだよ」
「本当は頑張りたいわけじゃないんだよ」
その根底にあったのは、
頑張らないと母に受け容れてもらえない
という恐怖だったと思います。
さらに、頑張っても認めてもらえない
という状況が、葛藤を大きくしました。
テストで95点、クラスで1番でも
なんでこんなところを間違えるのかと責められ
かといって100点をとっても
それで当たり前、と褒められることもなく
コンクールで最優秀、快心の出来の作文も、
読んでもニコリともせず
字が間違っているとか、句読点を入れた方がいいとか
ケチをつけるばかり。
おかげで私は自分に妥協を許さない強い子になりました。
反面、誰かに褒められても、疑心暗鬼で素直に受け取れず
まだまだ自分は足りない、と不足感を抱えることになりました。
成長するにつれ、頑張り癖は大きくなり、暴走し、
夢のため、社会のため、という大義名分をいいことに
自分の心身を顧みずに何かに没頭するようになりました。
あるときは受験勉強に、あるときはNPO活動に
どこまでも満たされない不安感を抱えながら。
その意味でも、私は夫に、子供たちに、
そして、つぶつぶに救われたのです。
幼い頃の記憶にある母への恐怖は、成長するにつれ怒りに転じ
高校生くらいになると、私は母を論破し、
最後は泣かせるまで攻撃するようになりました。
表向き優等生の私は、暴力や非行に走る子と紙一重の状態でした。
事実は、行きたい学校に進学させてもらい、海外留学の費用まで
出してもらって、とても過保護に育てられていたのです。
でも、そのことへの感謝の気持ちは持てず
寂しかったことや、腹立たしい感情だけが
増幅されて私の中に残っていました。
そんな母への気持ちが変わりはじめたのは
自分も子どもを授かり、親になってからです。
無我夢中で赤ちゃんの世話をする毎日の中で
自分もこんな風に世話をしてもらい
可愛がってもらったのかな
と初めて育ててもらったことへの
感謝の気持ちが湧いてきました。
はっきりとした記憶はないけれど
両親に沢山可愛がってもらったことの残影が
私の中にかすかに残っていて
それを見ていないだけだったことに気づきました。
考えてみれば、両親はいつも私のことを心配し
気にかけていただろうに
それを振り切って、一度決めたら人の言うことなど聞かず
好き勝手にやってきたのは私の方でした。
後に、つぶつぶグランマゆみこに
子どもの記憶はいい加減なもので
例えば、沢山絵本を読んであげていても
たった1回読んであげなかったことがあると
それが強調されて
子どもの記憶には「絵本を読んでもらえなかった」
ということだけが残る、と聞き
私の記憶も同じようなものかもしれない
と思うようになりました。
天女の学びを通じて
一般に子は親よりも進化した存在であり
親の進化を助ける役割があると知り
恨みは消えました。
母の厳しさのおかげで
今の私の芯の強さや
猛勉強で開花した才能もあることを認め
それも含めて全て自分が選んだことだったのではないかと
考えられるようになりました。
私の母への恨みの多くは、
誰もが抱く、生きることへの疑問と焦燥感をぶつけての
甘えだったことに気がつきました。
天女の学びでそれらの疑問が解けていったことも
私の気づきを加速させてくれました。
母が私に託したのは、
女性の手であたらしい世界を創る力
そしてそれは、その力を私につけさせたかった
地球と宇宙の愛の現れだったのではないかと
今、これを書いていて涙があふれてきました。
「私たち、革命家スピリットで響きあってここまで来たの!」
とつぶつぶグランマゆみこは私を紹介してくれます。
「戦いから平和は生まれない!」
「つぶつぶを実践すれば、
一人ひとりの体の中に、心にゆるぎない平和を実現できる。」
「食卓から世界を変えよう!
「外の環境を1日で変えることはできないけれど、
体の中の環境革新は自分の意志で今すぐできることを知らせよう!」
がゆみこの口ぐせです。
私は、つぶつぶに出会って、
戦いや批判心、絶望感や無力感を手放すことができました。
毎日の食のために、誰かを搾取したり、自然を破壊したりしないで
生きていけるようになりました。
ストーンと納得して生きられるようになったのです。
これほど静かで美しい速効性のある革命は無いと心から思っています。
母に感謝し、自分を心から信頼しているあたらしい私がここにいます。
留学や国際会議などに参加して鍛えた英語力を生かして
つぶつぶグローバルコミュニケーターを買って出ました。
つぶつぶの手料理術を軸に
地に足をつけた日常の暮らしに最高の幸せを感じながら
世界に、つぶつぶの心と技を伝染させる
静かで美しい革命の光を放つ具体的な活動を
ゆみことともにはじめています。
遠回りと感じていた日々が実は驚きの近道だったのです。
つぶつぶマザー
伊藤(高橋)信子
おわり(3/3)