戦いから平和は生まれない! / 宮川昌代(3/3)
私はつぶつぶに出会うまでは、
資本主義社会では低所得層の方々は
この社会の被害者であり、
誰もが人間らしく生きるための社会保障を
実現しようと活動していました。
復職後、気功を続けることでみるみる元気になった私は、
組合からの要望もあり、
全国の職業病で苦しむ仲間を救済するためにも、
公務災害認定闘争の中心となって
活動することになりました。
私は当時、障害児通園施設で働いていました。
年々、障害の程度が重度化していくなか、
若い職員たちの負担が重くなり、ほとんどが腰を痛め、
整体や整形外科に通院しながら仕事をしているという
異常な職場環境でした。
職業病の認定を求めて10万人署名に取り組んだり、
裁判官による現地検証を実現させたり、
地裁では勝利判決を勝ち取りながらも、高裁の不当判決により、
最高裁まで13年間も全国的な闘争のなかで、
「原告宮川昌代」として活動してきました。
当時はこれが私の天命だと信じていました。
ところが、その過程で、
行政は国民の味方ではないこと、
裁判所は公正な機関ではないこと、
メディアは真実を報道しないこと、
一人ひとりの生命を大切にしない社会構造に
私たちは生きているのだと気がついたのです。
この社会で幸せになるには、
この社会の仕組みから外れなければいけない。
職業病裁判で勝ったとしても、
誰も困らないし、
社会の仕組みが変わるわけでもない。
でも、実際にはどうしていいか、答えが見つからずに
13年後に裁判は最高裁で棄却されて
終わりました。
理不尽な社会のあり方に、失望しながら、
私に出来ることは何かを常に考えていました。
その答えが、つぶつぶにありました。
その喜びは、言葉には表せません。
つぶつぶグランマゆみこは、
矛盾だらけの社会のしくみから抜け出し、
しくみそのものを変えていくために
女性が目覚める必要があると言います。
そのための目覚めのスキルを発見し伝えています。
「戦いから平和は生まれない!」と
いう言葉に、衝撃を受けました。
秘湯巡りが夫と私の共通の趣味でした。
3人の子どもたちが成長して、自分たちの時間が増える頃、
どこか田舎に移住して古民家を改装して、
1日ひと組のペンションでもやりたいね。
と夫婦で夢を語っていました。
休日には、温泉マニアの夫と全国の秘湯を巡りながら、
二人の第二の人生のステージ選びという視点で、
現地の方々と交流してきました。
「食」の力がここまで大きいことを、
身をもって経験した私は、
この「つぶつぶ」の食と生き方を伝えていきたいと
強く願うようになりました。
最初は、田舎に移住して古民家でペンション。
そこの食事はつぶつぶにしよう!と
自然農の学びとつぶつぶの学びをどんどん深めながら
イメージを膨らませていました。
そして、50歳で退職し、ここ身延に移り住んだのです。
私は、2年間は自分の学びのために、
ここ身延で田畑をやりながら、訪れる方々に
つぶつぶごはんをふるまうことに決めました。
建物のリフォームや学びの費用、生活費等で
退職金をほとんど使い果たした
ちょうど、そのときに、
つぶつぶマザー構想が発表されました。
一も二もなく、手を挙げている私がいました。
新しい仕事の創造へのチャレンジは、
夢のように楽しい日々でした。
そして、心からの衝動で生み出される仕事には
人もお金もどんどん吸い寄せられてくると言われたことを
今、自ら実体験しています。
もっと早く、つぶつぶに出会っていたら、
夫をガンで逝かせることはなかったかもしれない。
今、ここに生きていることを、心優しく
夫とも子どもたちとも、義父母とも
楽しめたかもしれない。
と心から思います。
私が変わる!暮らしが変わる!世界が変わる!
このメッセージに響いたら、ぜひぜひ、
未来食セミナーScene1を受けに身延までいらして下さい。
あなたに会える日を
楽しみにしています。
つぶつぶマザー
宮川昌代
おわり(3/3)