雑穀の里・岩手県岩泉町の暮らし⑧ 生きた学びの場、地域の子ども社会があった
岩手県岩泉町は、雑穀が当たり前の暮らしが日本で一番長く、昭和40年代後半まで続いていました。そんな岩泉町で生まれ育ったのがつぶつぶ料理コーチの佐々木眞知子さん。
古くから雑穀を栽培し食べてきた岩手県岩泉町の暮らし、雑穀文化の源流について連載でレポートしています。
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雑穀の里・岩手県岩泉町の暮らし »
かわらなべ〜夏のお楽しみ
今回は子どもの遊びについて話を聞きました。夏休みにはかわらなべというお楽しみがあったそうです。 子どもだけで河原へ行き、石を積んでかまどを作り、焚き木も集めて火を起こします。そして、飯ごうでごはんを炊いたり、みそ汁やすいとんなどを作って食べるのです。お椀だけ持って行き、箸はその辺の小枝を折って作ったものを使いました。
「日常と違うことができて 解放された広い河原で食べるというのが新鮮で楽しかったのを覚えています。」と眞知子さん。大人は全く関与せず、大きな子がリーダーになって、小さい子たちにも年齢に応じてできることを指示してやらせていたそうです。
もちろん川遊びもしました。プールの無い時代だったので、夏休み前に、大人が川をせき止めて簡易のプールを作ってくれ、そこで泳いでいたそうです。「今と比べて、川もきれいだったように思います。メダカの群れもたくさんいました。」と眞知子さん。(筆者注:とはいえ、今でも岩泉の川は全国的にも稀にみる清流です。)
かわらなべのとき、カジカをとって、串に刺して焼いて食べたりもしたとのこと。「カジカは、石の下に隠れているので、足で石を動かし、カジカがでたところを、2人がかりで、手ぬぐいの両端を縛ったものに追い込んで捕っていました。」眞知子さんも昔は立派な川ガキだったようですね。
夜はお墓で肝試し!
夏休みの子供会の行事の一つには、お墓での度胸試しもあったそうです。夜暗くなってから、小学生から中学生までのグループで墓場へ行き、1等はお墓の上の方、2等は墓の下のお宮の周辺、3等はお墓に上がる道中、という風に隠してある景品を探して取ってくるというもの。途中には脅かし役も隠れていたりして、「当時は怖い がらも、ワクワク、ドキドキしなが 大きなお兄さんやお姉さんについて歩いていきました。」と眞知子さん。
昔も今と変わらず、夏休みは楽しいものだったのですね。大人は忙しかったのでほとんど関わらなかったそうですが、きっと遠くから見守っていたのでしょう。そして、当時は年長の子どもが統率する子ども社会があって、子どもたちはそこでコミュニケーションや人間関係をはじめ様々なことを体験しながら成長していったのだと思います。
社会に出てから本当に役立つ生きた学びの場が地域にあったのだとうらやましくなりました。この夏、私も子どもたちに沢山のワクワク体験をさせてあげたいなと思います。
○ 話し手:つぶつぶ料理コーチ 佐々木眞知子さん
日本で一番長く雑穀食が続いていた岩手県岩泉町生まれ。雑穀が 普通にある暮らしとその劇的変化を体験して育つ。町の栄養士を長 年務めながらも、近代栄養学に疑問を感じていたときに、つぶつぶ と出あう。早期退職後、夫と共に雑穀栽培にも取り組んでいる。
【岩手・岩泉】雑穀栽培体験×つぶつぶ料理レッスン コスモス
○ 聞き手・文:つぶつぶマザー伊藤信子さん
東京生まれ。大学卒業後、岩手県北の集落で雑穀のある伝統的な農 業や食文化を丸ごと体験、自然と文化と人の懐の深さに魅了され、岩 手に移住。岩泉町にも約8年間暮らす。現在は、雫石町にある自宅兼 アトリエでつぶつぶのセミナーや料理教室を開催している。4児の母。
岩手・仙台 つぶつぶ料理教室 つばさ