【ベジタリアンを知る vol.11】ちょっとティーブレイク…ポール・マッカートニーとの出会い!
*この投稿は以前発刊していた会報誌『月刊つぶつぶ』より連載シリーズ「ベジタリアンを知る」から一部編集して掲載しています。連載一覧はこちら
執筆:NPO法人日本ベジタリアン協会代表 歯学博士 垣本 充
ベジタリアニズムの根源は生命の尊厳
この連載シリーズでは、ベジタリアンの歴史、菜食と健康や環境などについて書かせて頂きましたが、今回はティーブレイクとでも言いましょうか、ちょっと話題を変えてみたいと思います。
元ビートルズのポール・マッカートニー卿が2013年に来日された際、東京公演に招待されました。そこで、ポールのミートフリー・マンデーの活動に敬意を表して「JPVSアワード(日本ベジタリアン協会賞)」を授与しました。
ポールの話は後に譲るとして、レオナルド・ダ・ビンチ、シェイクスピア、トルストイやワーズワースなどの歴史上の著名な芸術家がベジタリアンだったと伝えられています。現在でも、ポールをはじめ、マドンナ、プリンスなど多くのミュージシャンがベジタリアンなのです。芸術家やミュージシャンは常に時代の先端を行き、自分の思想や感情を作品にして人々に提供しています。
ベジタリアニズムの根源は生命の尊厳で、人間だけでなく動物や自然を守る想いを、ミュージシャンはメロディーに合わせて人々の心に浸透させるのです。学生時代に聞いたアメリカン・フォークソングの「ドナドナ」は市場に連れて行かれる子牛の運命を悼む歌で、まさにベジタリアニズムを訴えた楽曲でした。
ポールがベジタリアンになったのは亡くなった前妻のリンダの影響のようです。1969年に結婚し、二人の合作のアルバム『ラム』(アルバムの表紙は子羊(ラム)とポールとの写真)をリリースした1971年頃にはベジタリアンになっていたようです。彼と結婚したリンダは歌手でありながら、ベジタリアン食品「リンダ・マッカートニー・レンジ」を発売し、彼女が亡くなった今も、このブランドはスーパーマーケットで人気を保ち続けています。
ポール・マッカートニーとの出会い
私がポールと係わりが出来たのは、このリンダが関係しています。1999年にIVU(国際ベジタリアン連合)がベジタリアニズム啓発に貢献した人を讃えるマンカー賞を前年亡くなったリンダに授与することを決定しました。その時、私はIVUの学術理事を務めていてマンカー賞の審査員でもあり、リンダに票を投じました。ロンドンでの表彰式にはリンダに代わってポールが代理で賞を受け取りに来たことは英国で話題になったそうです。残念ながら、私は仕事の関係で授賞式に出席できませんでした。これがきっかけで、ポールが来日される際にIVUやリンダのことを記した親書を送り、協会賞を受理して頂きました。
2013年の公演パンフレットには、彼が亡妻リンダについて述べた箇所があります。
「リンダ・マッカートニー・フーズは、この20年間で、どれだけベジタリアニズムが変化したかという調査をしました。その結果は、かつては冷やかし半分だったベジタリアンのライフスタイルが、今や世界のトレンドとなっています。英国だけでも、2年後にベジタリアンは二倍になるだろう。リンダが最初にベジタリアン食品を出した時は、彼女がパイオニアで、業界で食に選択の自由があるという革命を起こしたのです。これを僕たちは発展させたいと思っています。」(抜粋和訳)
70歳を越えたポールは、なんと3時間に渡って水も飲まず、30曲以上の楽曲を歌唱してくれました。このスタミナもベジタリアンであることに由来しているのでしょう。ポールに会えると決まった時、なぜか「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」の楽曲が頭の中に流れてきました。長く曲がりくねった道だったけどベジタリアニズム啓発活動を行ってきて、彼に出会うことができたことは生涯の大きな喜びです。コンサートでこの曲を聞いた時は本当に感動しました。
次回は、今話題になっているWHO国際ガン研究機関が発表したハムやソーセージなどの加工肉がガン発症リスクを高めるというトピックスを取り上げます。
NPO法人 日本ベジタリアン協会
日本ベジタリアン協会は、1993年4月設立、2001年2月に特定非営利活動法人(NPO法人)の認証を受けた非営利団体です。「人と地球の健康を考える」をテーマに菜食とそれに関連した健康、栄養、倫理、生命の尊厳、アニマルライツ、地球環境保全、発展途上国の飢餓などの問題に関する啓発や奉仕を目的とし、菜食に関心のある人々に必要な知識や実践方法を広め、共有していくためのネットワークづくりを行なっています。
HP:http://www.jpvs.org/