地球に包まれてつぶつぶで育つ。/ 郷田優気(1/3)
私は東京都文京区で
つぶつぶグランマゆみこの長女として生まれました。
母が食事を変えてから初の自宅出産で
父と兄が見守る中、
母のおなかから飛び出してきたそうです。
母・ゆみこによると
元気な産声を上げたあと
丸2日間はおとなしく寝ていたので
母の体はみるみる回復し、
次に泣き声が聞こえた時には、
おっぱいが張っていて
わたしが吸うだけ
ちょうどいいだけのおっぱいが出るので
感動したらしいです。
私が3才のときに、
家族で山形に移住、両親の暮らしの大冒険が始まりました。
山形・いのちのアトリエで、
兄弟4人と両親の6人で
毎日、つぶつぶが当たり前の食で、
野山を歩き、自然で遊び、
家族の中で楽しく美味しく
日々が過ぎていきました。
家族みんな
病気らしい病気はしたことがありません。
とはいえ、お肉も卵も食べない食生活が信じられない
地元のおばちゃんたちから、
私や兄弟たちを抱き上げて
「ちゃんと骨がある!」
と言われた、というエピソードは、よく聞かされました。
骨があるどころか、
私も兄弟も健康そのもの、すくすくと育ちました。
私は、幸いなことに
父親譲りにすらりとした長身になり、身長165cm。
さらに、母親譲りの頭の小ささともちもち肌をもらって、
いつのまにかバランスの良い体型に育ちました。
学校は、行っても行かなくてもいいと言われていたので、
私は、興味本位で、そして先生にほだされて、何ヶ月か通いましたが、
結局、家の方が楽しくて、行かなくなりました。
その代わり、家で中学校までの算数、数学はやりました。
英語はラジオ講座、
社会は本を読むこと、
理科は、外の大自然にたくさん教えてもらいました。
家での、私たちの仕事は、
行きていくために必要な畑や雪かきなどの手伝いをすること、
ごはんを作ること、薪割りや草刈りなどたくさんありました。
でも暮らしの中で大部分は自由にやりたいことを思いっきり、
やらせてもらっていました。
絵をかいたり、ビーズアクセサリーを作ったり。
わたしが11才の時に家族旅行でアジアを1ヶ月旅行しました。
インド雑穀研修ツアーの後の両親と、
シンガポールで待ち合わせて
中国の雲南に飛び、
さらに陸路で国境を越えてラオスへ、
リス族、カレン族などの少数民族の里を通り抜け、
メコン川を下ってタイ中心部、マレー半島を経て
シンガポールへ。
子供心に、いろんな刺激を受けました。
それまで、ほとんどお金のいる場面のない暮らしだったのが、
何をするにもお金が必要なのに圧倒されて
「一千万円貯めなきゃ」
と口走っていたようです。
本人は全然覚えてないのですが。
さらに、英語にもさらに興味を持つようになり、
英語のラジオ講座での勉強が楽しくなりました。
15才で、オーストラリアに短期留学しました。
最初の1ヶ月は家族旅行で回って、
その後3ヶ月は一人であちこちホームステイさせていただきました。
オーストラリアでは、初めての一人の海外でしたが、
自分の足で行動をして、
種の保全に取り組んでいるシードセイバーズネットワークの
ジュードさんご夫婦にお世話になったり、
エコフェスティバルに参加したり、
オーガニックファームでホームステイさせていただきました。
この3ヶ月で、英語力はかなり磨かれました。
日本に帰国して一番に思ったことは、
「うちのごはん、なんて美味しいんだろう!」
ということでした。
そして、つぶつぶカフェのアルバイトデビュー。
アルバイトという形で東京に出ることが多くなり、
少しずつ、山形の大自然から、
大都会の社会との接触がはじまりました。
カフェの仕事、チラシを作ったり、
新しいことや企画を考えるのは大好きでした。
教えてもらって、DTPデザインができるようになり、
ちょうど、つぶつぶマガジンの創刊時だったので
デザインも手伝うようになりました。
ちょくちょく東京に出るようになり
ダンスが習いたかった私は、
東京でSEの仕事をしている兄につれられて
「サルサ」を習うようになりました。
その時は、まさか、ここまでサルサにはまるとは
思っていませんでした。
わたしが17才の時に、
つぶつぶカフェ・長野駅前店のオープニングの話が立ち上がり、
木の家を推奨している
工務店さんとのコラボレーションで
長野つぶつぶカフェが出来上がっていく過程に
携わりました。
おもしろがって、店の内装から厨房設備の選定
食器選び、制服からメニューの制作まで、
母の横で楽しんでいたら、いつの間にか
店長をやるはずだった女性が、
都合が悪くなって
わたしが店長になることに。
18才で、はじめての家を離れた暮らし、
寂しいと思う暇もないくらい、充実した日々でした。
長野での出会いや出来事や、
様々な経験は、なにもかもが新しくって楽しくって、
新鮮でした。
何の心配も無い環境に包まれて
次々と力を発揮する機会に恵まれて、
ダンスも続けながら、
最高の仲間たちに恵まれていました。
そのときの私は、
最高の気分のはずでした。
つぶつぶマザー
郷田優気