「良い母、良い妻、良い嫁、責任ある社会人」を目指して結婚生活スタート / 宮川昌代(2/3)

板前の夫と結婚したのが 21才のときです。

 

仕事を続けるのが当たり前と思っていたので、

抵抗もなく義父母との同居を選びました。

 

2年後、長女が生まれました。

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正しい子育てを目指しました。

お母さんとしてちゃんとしようと

思ったのです。

 

子どもがわが家の中心になりました。

仕事と子育ての両立に

夫と義母との連係プレーで取り組みました。

 

規則正しい生活リズムを優先し、

子供と一緒に8時半就寝。

 

朝早く起きて朝の散歩、

朝ご飯を食べさせ、

朝の排便チェックと歯磨きを欠かさず、

夫が保育園に送り、私は1時間かけて通勤、

夕方は職場からダッシュして

お迎えにいく毎日。

 

少しでも安全な食材で、

忙しくてもなるべく手作りの食事を

心がけていました。

 

生活必需品もなるべく環境や人に優しいものを

買い求めるようにしてきました。

 

 

私は正しさを追求するうちに自己流で野菜中心の

薄味、油控えめの食事を「体にいい」

と感じるようになっていました。

そして、薄味の食事に醤油や塩を足す家族を

批判していました。

 

子どもたちは、薄着で健康に育てたいと

冬でも大人より1枚少なく着せ、

靴下ははかせない、

等々。

 

それなのに

子どもたちはしょっちゅう風邪を引き、

義父母は心配してあれこれ。

 

遅く帰宅する夫は毎夜一人で晩酌、

夫婦2人の時間がほとんどない暮らし。

 

家事や食事作りを

一手に引き受けてくれている義母が、

子どもたちの薄着を心配して言ってくれるのを、

自分が否定されたように感じ、

感謝どころか、批判の気持ちが

強くなっていきました。

 

次男にはアトピーと喘息が

ありました。

 

そして、長女が小学3年生で

不登校になりました。

 

介護休暇をとらなければならない

ほど深刻な状態でした。

 

娘と2人の時間を作り、

いろんなところに2人で遊びに出かけ、

私は、不登校の親の勉強会や

フリースクールの保護者会に参加して

学びました。

 

私は娘の不登校から、外から押し付けられた情報に振り回されて、

良い人をがんばることが、自分や家族を大切にすることと

勘違いしていたことに気がつきました。

 

その私の姿が

娘を「良い子でいることで認められる。良い子でいないと認められない。」

という状況に追い込んでいたのです。

 

私が自分らしく生きていないこと、

自分自身を大切にして生きていないことを、

娘が不登校という形で知らせてくれたのだと、

今はそう思えます。

 

 

大好きな母親ががんばり続け、緊張続きの暮らしの中で

長男は、厳しい態度という形で私に対して

甘えを表現するしかなかったようです。

 

余裕のなかった私は

それを受け止めることもできず、

嫌われている、と思い違いをしていました。

 

じつは、そのことがわかったのは

移住してきた長男にその気持ちを打ち明けたつい最近です。

 

息子は、びっくりしていました。

 

 

まさか、家族ぐるみ一緒に暮らすことになるとは、

まさか、夢をいっしょに語り合えるようになるとは、

というのが私の正直な気持ちです。

 

あんなにがんばっていた私は

結局自分も周りも大切にしていなかったのです。

 

大切にしていたのは、

「良い母、良い妻、良い嫁、責任ある社会人」という

受け売りの自分像でした。

そのために体が壊れるほどがんばっていたのです。

 

人間として、女としての自分、人間としての子ども、家族を

大切にする、という意識がまったく抜けていました。

 

 

私は、自分が病気になったことで、

 

「自分は何のために生きているのか」

 

「何のためにこの世生まれてきたのか」

 

ということを考えるようになりました。

 

 

体がサインを出して、私に次なる道を教えてくれたのだと

今はわかります。

 

もしあの時、体からのサインに気がつかず、あのまま、がむしゃらに

突き進んでいたらどうなったことかと思うとぞっとします。

 

 

芽生え始めた、私の中から発する問いに、

それまで感じてきた様々な社会の矛盾の解決法に、

答えをくれたのが

未来食セミナーであり天女セミナーの

学びと実践でした。

 

私らしく生きている私が、今ここにいます。

 

 

 

つぶつぶマザー

宮川昌代

 

つづく(2/3)